七夕の行事食がそうめんって いつから?なぜ?どんないわれがあるの?

7月7日の七夕。行事食はそうめんです…って!それって昔から?
実は初耳のわたし。
いつから七夕の行事食がそうめんになったのか!?それにはどんないわれが??
由来を知ったらびっくりでした。

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七夕の行事食がそうめんっていつから?

七夕は、中国の風習と日本の風習が融合していまに至ります。
中国での七夕の起源は、いまわたしたちにも伝わる織女と牽牛の伝説と、乞巧奠(きこうでん・きっこうてん)が結びついて生まれました。
乞巧奠は、7月7日に7針に糸を通して手仕事の上達を願う風習でした。これが織女と牽牛の星伝説と結びつき、7月7日の夜に供え物をして星を祀り、裁縫や習字の上達を願う行事になったのです。

この、中国の乞巧奠の風習が日本に伝わったのは奈良時代のことです。

そうめんの原型は奈良時代から!

中国の乞巧奠の風習とともに伝わったのが、そうめんの原型となる「索餅(さくべい)」でした。 索餅は、和名では「麦縄(むぎなわ)」ともいいます。
この麦縄は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族、長屋王の邸宅跡から発見された木簡に「山寺麦縄」の記述があり、このころには麦縄が食されていたことがうかがえます。

平安時代は

平安時代中期の律令の決め事を記した『延喜式(えんぎしき 905-927編纂)』には「索餅料」として、材料や道具の記述があります。
また、同時期に作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう 931年-938年編纂)』には「索餅」の項があり、「和名無木奈波(中略)皆隨形而名」(和名むぎなわ 名前のとおりの形)との記述があります。
平安時代末期の『今昔物語集』には、麦縄が蛇にかわる物語が収められています。

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「そうめん」の呼び名はいつから?

中国では、日本の平安時代にあたる北宋時代には「索麺」という文字があらわれています。
中国元時代(日本の鎌倉時代ころ)に作られた日用類書『居家必要事類全集』には、索麺の製法が記されています。

日本での記述は、南北朝時代の『祇園執行日記』で、ひとつの同じ麺類を「索餅」「索麺」「素麺」と3通りにあらわされています。「索麺」と「素麺」はどちらも「そうめん」と読みます。(索麺はさくめんとも読む)これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされています。

七夕に素麺なのはなぜ?どんないわれがあるの?

七夕は、中国の乞巧奠に由来し、日本に伝わりました。
中国の故事として伝えられるのが、「7月7日に亡くなった子どもの霊が鬼神となって瘧病(わらはやみ・ぎゃくびょう・おこり)をはやらせた。その子どもは生前、日頃から麦餅を食べていたので、命日に麦餅を供えた。7月7日に麦餅を食べると、瘧病にならない」という言い伝えです。瘧病は、マラリアのような熱病です。

このことは、鎌倉時代の『年中行事抄』に記述があり、また、江戸時代の『日本歳時記』でもこれに言及しています。

七夕にそうめんを食べるもうひとつのいわれは、機織りをする織姫にあやかって、 細く長いそうめんを糸に見立てて裁縫の上達を願ったものともいわれています。

旧暦の七夕は、お中元やお盆の時期でもあります。
江戸時代の滝沢馬琴『馬琴日記』には、七夕に進物として素麺を贈ったり、いただいたりする様子が書かれています。

現代でも、お中元に素麺が定番のひとつとなっているのは七夕のなごりかもしれませんね。

まとめ

七夕の行事食がそうめんになったのは、ずうっと昔からだった!
起源は奈良時代までさかのぼる!
七夕にそうめんを食べるのは無病息災とお裁縫の上達を願って!
ということでした。

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